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執筆者の写真Vlaminck mountain

ひとりのはじまり

更新日:2021年10月16日

 『ごめん今日無理』


 日曜日の朝6時過ぎ、こう言われて受話器を置いた。こいつもかと気を落としたが、目は覚めてしまったし、他にやることもないので自転車の掃除をすることにした。


 少し前までは三角乗りをしていた父親のマウンテンバイクも、いまは成長期を迎え普通に乗れるようになった〝 ダークネイビーのGT 〟


 その自転車をいつもの手順でバラして磨いていく。ピカピカにして組み直し、指にグリスを取ってチェーンに塗りつける。僕は小さい時から機械や工具が好きで、おもちゃでも時計でもねじを見つけるとバラし、バラし、



 4月の朝の空気が冷たくて気持ち良い。

 

 組み上がったマウンテンバイクにまたがって漕ぐと〝ススッ〟と滑らかに走り出す。バイクが喜んでる。まるで新車のような新鮮な乗り心地。


 時計を見るとまだ7時。


 行ける。行こう!


緊張の入り混じった高揚感を感じながら“今日は初めてひとりで行ってみよう”という気になった。


 4月の日曜日。半袖短パンの僕はまず多摩川まで向かった。持ち物はポケットに数百円の小銭だけ。

 五本松のところへ出てから下流へ向けて出発。河原には腰の高さくらいの杭みたいな標識が一定距離で立っていて距離が分かるようになっている。ここ東京都狛江市から海まで25km、往復で50kmというなんともキリの良い数字。




 最初のきっかけは2ヶ月前、2月のある休日に仲良し3人組でサイクリングをしたことだった。3人のうち僕以外の2人が警察やパイロット等の制服マニアで、羽田空港へ行こうとなった。僕は制服には興味がないが空港や飛行機は好きだったし、何より冒険的な要素に惹かれた。(ちなみにこのうちひとりは本当に警察官として働いている)


 サイクリングロードが時折途切れて気が付くと街中へ入っていたり、二子玉川で川崎側へ渡って、丸子橋で東京側へ戻ってきたり、3人で様々な状況に対処しながら何時間もかかって羽田空港へ到着。喉が渇くとコンビニへ寄り、小遣いでコーラを買って飲む。こんなことでも13歳の少年には大人びた行動のようでちょっと胸を張る。


 3人で騒ぎながら、時にはスピード勝負をしながらのちょっとした冒険。


 これが楽しくてこの日以来、毎週欠かさず多摩川を下って羽田まで行くのがお決まりになった。


 2度目か3度目の際には羽田の滑走路へ着陸の為に高度を下げて迫ってくるジャンボジェット機を真下から大迫力で観られるスポットを発見し、熱狂した。爆音を立てて一瞬で、手の届きそうなくらいすぐ真上を通過する飛行機を見て大喜びする。


 それはそれは楽しかった。


 なのに今日は突然2人とも行けないなんて。


 すごく寂しかったが、おかげでひとりで走ってみるきっかけになった。

ひとりということに対しての不安は無かった。いやむしろ、新たな冒険に出るような感じがして高揚した。何度も走った道だけど、ひとりでもくもくと走る今日は景色が全然違って見えた。この景色を独り占めしてるような気さえしてきてとても新鮮だ。


 羽田空港に着いて時計を見るといつもより早く着いていることが分かった。喜びを分かち合う友達が今日はいないから、すぐに帰路につく。


 帰り道はもっとあっという間だった。

道中考えていたのは、ひとりの方が断然楽しいという発見について。もっともっと走りたいと思った。


 家に着くなり社会科の地図帳を開く。日本地図を見てちょうど良さそうなのが目に留まり、調べてみるとぐるりと海沿いに一周約1000km。なんともキリの良い数字。ここに決めた。四国だ。


 あとは父親の許可…


旅に出たいなんてことを父親に話すには中一の僕にはだいぶ勇気が必要で数日悩んだが、ある夜父親の運転する車の中、ふたりきりになったタイミングで思い切って言ってみることにした。暗い車内で互いの顔はよく見えないし、何より父親は運転中だから怒られても手は出せまい。


 緊張を表に出さないように注意しながら出来るだけ軽い口調でポソッと「夏休みに自転車で四国を一周したい、、、」と、言ってみた。ダメ元だった。しかし父親は即答で「行ってこい」と言った。意外なほどあっけなく、悩んだ数日がなんだったのかと拍子抜けするほどだった。 この時言われたことは今でもはっきり覚えてる。「いいか、人はな、やりたいと思った時にはもうその力を持ってるんだ。だからお前が四国を一周したいと思ったのならお前にはもうできる。行かせてやるから終わるまで絶対に帰ってくるんじゃないぞ。」


 それからは話が早くて、次の休みの日には新宿のエルブレスへ連れて行かれ、カッパ、ランタン、1人用のテント、自転車に取り付ける前後のキャリーにバッグのセット、ツーリングマップ等々、必要なものを全て一度で揃えてくれた。会計が10万を軽く超えていて、事の重大さを意識した。思えば、これを見せることで僕の退路を断つ狙いが父にはあったのだろう。もう後には引けないと確かに思った。弱音を吐けば固いこぶしが飛んでくる。


 友達と初めて羽田空港まで走った時からおよそ2ヶ月。僕のひとり旅が決まった。




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 以上が僕が初めて旅をすることになった時のエピソードです。

書いていてとても懐かしい。良い思い出です。

なんだろう、今までこうやって自分の中から表に出す機会がなかったけど、

ちょっと気持ちが軽い感じがします。

ちなみにこの、友達と離れひとりで行動した経験が、いまのソロ登山好きや海外には必ずひとりで行くことなんかに繋がっています。ソロの方が世界が広がることをこの時に知ったから。

 書いてたらいろいろ細かいことも思い出してきたので、時系列はあまり気にせず、書きたいと思ったエピソードごとに気ままに書くことにします。

 またお付き合いいただけたら嬉しいです。

ありがとうございました!


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